さてこの前の日記のコメントで、たまさんが「端午の節句はもともと女の子の節句だった」とトリビア的なことを言っとりましたので、私としては「なんで女の子の節句に変わったのか?」と疑問に思ったわけですね。
そうしたら、「女版京極堂」ともうたわれるたまさんが自らの日記にその理由を書いてくださいました!
サンキューです。
是非皆々様にもその素晴らしい答えと薀蓄を知っていただこうと思いここに記載したいと思います。
たまさんが書いてくれたまま載せますね。
「ではまず、myuやんの質問「何故男の子のお祝いになったのか」から。
えー、元々端午の節句は中国で生まれました。
主に健康祈願だったとか。
兜も鎧も出てきません。
菖蒲の花を煎じて飲んだりする習慣があったとかなかったとか。
日本の宮中に渡り、宮中では端午の節句に菖蒲の花を髪飾りにすることもあったそうです。
さて、宮中だけでなく民間にも広がりました。(こういうのを「民俗の沈降化」とよびます
端午の節句の日には日本では昔から、女性の物忌みがありました。
男性は出払うのですが、女性は田植え前の潔斎をする日だったらしいです。
そう、端午の節句は女の子の節句だったのです!
中国から伝わった風習が混ざり、軒先に菖蒲の花を飾る習慣があったとか聞いたことがある。
さて、この「菖蒲」がクセモノ。
時代がくだって武士が台頭すると「菖蒲」を「尚武」と読み替えるようになりました。
尚武とは武を重んじると言う意味。(勤倹尚武、とか言うでしょ?
それが現在の男の子の節句(鎧を飾ったり、ね)の形になったとか。
余談ですが、食べ物とかはまた違った由来を持ってます。
まず、柏餅。
柏の葉は新芽が出てくるまで前の葉が落ちないので、家系が耐えないという縁起物だとか。(おばあちゃん、教えてくれて有難う
日本で生まれた習俗らしいですが、何故端午の節句に柏餅なのかは知らん。(誰か教えて!
次、ちまき。
コレは中国生まれ。
五月五日はかの有名な屈原がベキラ(漢字変換面倒)に身を投げた日です。
その日の記念祭みたいなもので食べてたとか。
屈原にまつわる祭は中国にかなりの数あります。」また後に続きを書いてくれるみたいなのでご期待を!
この「たまさんの薀蓄玉手箱」みたいな感じでコーナー化しちゃいましょうか(笑)